訓読の恵み
日々の生活の中で良き言葉に出会うことは人生の価値を上げると言っても過言ではありません。
生きていると、いろいろな困難や苦悩に出会います。
そんな時、先人の知恵や言葉に触れることで、新しい希望や勇気が湧いてくることがあります。
人生には困難がつきものです。
困難な中では、私たちは道を探します。
原理講論の中では人の常についてこう書かれています。冒頭の部分です。
p21ー
人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。
幸福な未来を求めて、困難を克服したい。
それは生きとし生けるもの、すべての願いです。
この世界には何白億という人の人生の中で同じ人生は一つもなく、また、違う人生を生きた人が、生きては死にを繰り返しています。
その人生での貴重な発見や経験を人間は書に残して、読み続けています。
私たち、人間にはこのように、未知なる道を示す書があります。
書を通じて、道を見出すことができます。
また、新しいこと、未知なことをしたい時、人生を切り開く上でもとてもいい学びになります。
そんな内容を朝のひと時に時間を読んだり、作ってみることは、人生を豊かに、そして、有意義に過ごす上でも重要だと言えるでしょう。
毎日、朝、新しい言葉、聖なる言葉を読みながら、人生の中のかけがいのない大切な出来事、出会い、神聖なる時間をブログでシェアーしたいです。
私たちの人生の中で重要なことは、体験を証しすることでもあります。
再臨の主であられる文鮮明先生は、自分たちの体験談、証しをたくさんしなさいとおっしゃいました。証しは、未来の人々にとって、とても貴重な内容です。
その証しは、誰かの役に立つことは間違いありません。聖書には神様との出会い、イエス様の多くの弟子の証が記されています。
そして、それが、生きた神、イエス様の道と使命を託された、再臨の主であられる文鮮明先生の絶対的な証しに繋がることは間違いがないでしょう。
この神様はいない。神を否定し、霊性を否定する世の中で、私たちが、必死で主と共に生きた証しです。
再臨の主が語られた七転八起の人生。
それは、私達にとっても、重要なみ言です。
私は、今の統一家のゴタゴタに巻き込まれることには意味があるとは考えていません。それは長い訓読生活、祈祷生活の中で与えられた重要な方向性です。
しかし、再臨の主であられる文鮮明先生の生前のみ言葉に従って、
自分の体験談とそして、証し、自分自身の自叙伝を作る方向性に向かって生きていくつもりです。
その中で、より深い愛とより強い信仰を得て、神と再臨の主に与えられた自分の使命とゴールに到達する時まで、満生懸命で生きることに専念します。
最後に文鮮明先生が語られたみ言を紹介します。
天運と聖霊の宿る八大教材教本 より
p43
八大教材教本が中心です。自分の名前を誇示しようとしてはいけません。自分の名前を出して有名になろうとせず、中心の根に接ぎ木することがどれほど重要かを理解して、そのように歩んでいかなければなりません。自分なりに考えるのではなく、先生のみ旨とみ言に従っていかなければなりません。今はもう、整備の時です。
すべて教えてあげたので、これからは天理にかなった道を行くのです。
2009・8・30